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マイクさんによる、ジャパニメーションの歴史inアメリカ(10)[最終回]
2000-現在
2000年には"cartoon Network"はさらに多くのアニメの放送をはじめました。セリフは英語に直されていますが、BGMや日本語ヴォーカルの歌もそのままです。この時は、「ガンダム」「ドラゴンボールZ」「遊戯王」(YU GI O)「天空のエスカフローネ」(Escaflowne)「ガンダムW」(Gundamn Wing)「カードキャプターさくら」「ビッグO」などが放送されました。「セーラームーンシリーズ」も再放送されました。
最近のアニメも放送開始!!この辺になると個人的には観た事がないモノが増えるな。
ゆうぎおうcdエスカフローネcdカードキャプターcd
現在では、ほとんど毎月のように新しい日本アニメがはじまっています。そしてたくさんのタイトルがDVD化されています。漫画もたくさん発売されています。日本アニメのサントラCDの発売もされています。ここ10年間に日本で放送されたアニメのうちのおよそ85%のタイトルがアメリカで放送されています。70年80年代の作品も数多く観れますが、まだ多くの名作が放送されていません。なぜこのような状況になっているかというと、最近のアニメの方が古い作品より人気があるからです。その背景には75%の日本アニメおたくはここ2,3年の間におたくになった為、古い作品をあまり知らないのです。

昔からおたくをやっている私は昔の作品の方が好きです。もちろん今のアニメにもいい作品はありますが、圧倒的に昔の方が良いです。私達は日本アニメが大好きで、私達の多くは最高のアニメのスタイルだと思っています。かなり多くのおたくが、日本アニメのサントラ、写真集、漫画などを集めています。とても長い文章を最後まで読んでくれてありがとうございました。(了)

店主の一言:こちらこそ、貴重な情報をありがとうございますm(_ _)m マイクさんの情熱が文章から伝わってきて頭が下がります。

今でこそ、ほとんどの日本アニメはなんらかの形でアメリカで放送されていますが、そこに辿り着く為には色々な失敗もあり、数え切れない人達の努力があったからこそ、この素晴らしい日本の文化を海外の方達とも共有できる喜びを得られました。現在では世界各国で色んな国の文化が浸透していて、色んな国に親近感を持てる時代になりました。そういう文化を通して世界が平和になれば良いなと心から思います。微力ではありますが、今後も海外の人達と日本の距離が少しでも近づくように頑張りたいと思います。

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author:高橋正彦(音吉プレミアム), category:アメリカにおける日本アニメの歴史, 13:39
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マイクさんによる、ジャパニメーションの歴史inアメリカ(9)
1997-2000
1997年にはケーブルテレビ会社"Cartoon Network"が多くの日本アニメの放送を開始しました。「鎧伝サムライトルーパー」(Ronin Warriors)、「ドラゴンボール」、「美少女戦士セーラームーン」(Sailor Moon)が地上波で打ち切りになったのをみて、それらを放送したのです。ケーブルテレビは子供と大人両方に受け入れられて、日本のアニメはさらに需要が増えました。"Cartoon Network"は「ポケモン」の放送も開始しました。
ポケモンepポケモンGETだぜっ!
1998年までに、日本アニメは200タイトル以上がVHSで売られるようになりました。エロ系(Henrai Taitle)のアニメが最初に登場したのは1994年になります。そして1998年には人気商品になっていました。1998年には、およそ20のエロ系アニメがビデオ化されていました。

※アメリカではエロ系アニメの99%にモザイクはついていません。アメリカでは法的に禁止されていないので、こちらでは全てモザイクは取り除かれます。エロマンガも一緒でモザイク処理はしてありません。

※2000年に漫画家の"Kondom"が彼の有名な作品「インセクトハンター」(Bondage Fairies)のSEXシーンをアメリカでの出版の為に書き直しました。彼は1994年の日本での発売当時に、日本の規制の中では書きたいものが書けなかったと言っていました。

店主の一言:ケーブルテレビで日本アニメを観る時代がやってきたんですね。そしてエロ系アニメの登場。1967年の日本アニメ初登場から27年後にやっとエロ系が出てきたんですね。表が普通のアニメならエロ系は裏街道になりますが、表と裏の両方があって確固たる日本アニメ人気が確立されたのでしょう。それに浮世絵だって昔はエロ本のような扱いだったって聞きますし。エロアニメも侮れないです。
インセクトハンターってどんな漫画か調べたら漫画家のKondom先生のHPを見つけました。たくさん本を出してるんだなあ。
kondomココをクリックするとKondom先生のサイトに行きます

さていよいよ明日で「マイクさんによる、ジャパニメーションの歴史inアメリカ」は最終回になります。どうぞお楽しみに。

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author:高橋正彦(音吉プレミアム), category:アメリカにおける日本アニメの歴史, 15:33
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マイクさんによる、ジャパニメーションの歴史inアメリカ(8)
1990-1996
1990年には"Robotech"がもう一度再放送されました。それ以降は1996年までメジャーな日本アニメのテレビ放送はありませんでしたが、その代わり、ビデオやLDの販売がさかんになり、たくさんのおたくが生まれました。

1994年頃には日本アニメはアメリカの誰もが知る存在になりました。ですが、現在程の人気になるにはもう少し時間がかかりました。そして1996年にアメリカのテレビ局は日本アニメの放送再開を決定しました。

そして、「鎧伝サムライトルーパー」(Ronin Warriors)、「ドラゴンボール」(Dragon Ball)、「美少女戦士セーラームーン」(Sailor Moon)などが、放送されました。これらはとても人気がありましたが、少し問題もありました。「鎧伝サムライトルーパー」は全編36話を2回どおり放送したのに対し、「ドラゴンボール」は1stシリーズのみしか放送されませんでした。
1996年、祝 日本アニメ放送再開!!
サムライトルーパーcdセーラームーンcdドラゴンボールcd
「美少女戦士セーラームーン」のアメリカ版はかなり編集されて放送されました。キャラクターの名前や、話の内容まで変えています。例えば、日本版の2,5,6,20,42話はカットされて、45,46話は1話分の長さに短縮されていました。セーラー戦士の死はアメリカの子供達にはキツすぎると判断したのか、代わりに闇の城に捕獲された事になっていました。

日本版のセーラームーンの1stシリーズは全46話ですが、アメリカ版は42話です。続編(セーラームーンR)に関しては、47-66話と68-73話のみが放送された時点で打ち切りになりました。おたく達は落胆し、テレビ局に多くの抗議と全編放送のお願いをしました。その結果、74-88話が1988年に放送されたのです。※アメリカ版の「セーラームーン」はセリフとBGMがカナダで作られました。放送もアメリカとカナダで同時期にされ、打ち切りもまた同時でした。アメリカとカナダのおたくが凹む結果になりました。

店主の一言:結構打ち切りになる事が多いようですが、原因は何だろうか?スポンサーとの兼合いかな?セーラー戦士の死って書いてあるけど、セーラームーンってそんなにシリアスなアニメだったんだ。ちょっと公式ホームページを調べてみよう。
美少女戦士セーラームーン公式ホームページ
(転載はできないんで興味のある方は直接公式ページを見てください↑)
あー確かにシリアスな話のようだ。女の子向けのアニメだと思って敬遠していたけど、ちょっと観たくなったな。考えてみれば少女マンガでも「バナナフィッシュ」とか「生徒諸君」とかすごく面白かったもんな。食わず嫌いはよくないね。
フナ寿司よしっ!勇気を出してフナ寿司食ってみるか。(フナ寿司とは人生で一度だけ遭遇した事がありますが、臭いがキツくて食べれませんでした。リベンジなるか?)

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author:高橋正彦(音吉プレミアム), category:アメリカにおける日本アニメの歴史, 13:15
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マイクさんによる、ジャパニメーションの歴史inアメリカ(7)
1987-1989
1987年にはアメリカの漫画会社が日本の漫画を翻訳して販売するビジネスを始めました。それが日本アニメの人気に拍車をかけました。

1988年には日本アニメに関わる小さな会社が多く出てきました。彼らの多くは日本アニメをビデオ化して売りはじめたのですが、今までと異なるのは、彼らは古い日本アニメを大人をターゲットに販売したのです。そうする事によって作品のセリフや、ヌード、暴力シーン、BGMはそのままにでき、そこに英語の字幕を付けたのです。(中にはセリフのみ吹き替えのものも多くみられました。)

この手のアニメは一気に盛り上がり確固たるマーケットを獲得しました。それを踏まえて、様々な企業が"Robotech"のような人気アニメのビデオ化を始めました。

1988年までに、アメリカではたくさんの「おたく」が出てきました。彼らの手によってはじめてのアメリカにおける日本アニメの雑誌が誕生しました。それは日本でいう「アニメージュ」のような雑誌で多くの情報を得ることができました。

さらにアメリカの日本アニメおたく達は集会をはじめました。その集まりでは、食べ物があって、コスプレショーや日本アニメのグッズショップもあり、有名な日本やアメリカのアニメ人たちをゲストに迎えたのです。日本のゲストには、三木本晴彦、MIO、飯島真理などがいて、アメリカのゲストは日本アニメのアメリカ版声優などが来てくれました。
豪華ゲスト陣"三木本晴彦、MIO、飯島真理"のCDです。
三木本lpmiocdeste飯島真理live
その後アメリカのおたく達はアメリカではビデオ化されていない日本アニメを彼らの手によって字幕を付けて、仲間同士で鑑賞し始めました(Fansab)。彼らは無償でそれを続けました。その結果、観たいアニメを互いに交換する事ができ、多くのアニメがアメリカで知られるようになったのです。そして彼らは、日本で売られている、CD,LP,VHSなどが欲しくなり、それを受けてアメリカでの販売が積極的に行われるようになりました。そういったおたくグループは当時は100以上あったのですが、日本アニメ市場が大きくなった
現在のアメリカでは、30にも満たない数になっています。

店主の一言:この時期になると、だいぶジャパニメーションはアメリカに浸透してきていますね。そして子供のものだけでは無く、大人も楽しむものだという概念が生まれ始めた。多分これは1967年頃にアメリカで最初のアニメを観ていた子供達が大人になって、「懐かしさ」から再び興味を持ち始めたのでしょう。

子供の頃に好きで、大人になってから再び自分の中でリバイバルしてものって何かあったかな?うーん、、あっ3年前くらいに買いましたよ。

元祖ファミコン
ファミコン
本体は壊れてたので中古で買いました。ソフトは実家の押入れに入っているのをわざわざ探しに帰って発掘してきました。シンプルでいいですよ、昔のファミコンは。ちょっとやってすぐにやめれるのがいい。最近のゲームはRPGとかシュミレーションとか色々時間がかかるのが多いので一度手をつけるとなかなかやめれません。あーこうやって書いてるとちょっとゲームがしたくなってきたな。今夜はじゃじゃ丸くんでもやるか。

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author:高橋正彦(音吉プレミアム), category:アメリカにおける日本アニメの歴史, 19:32
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マイクさんによる、ジャパニメーションの歴史inアメリカ(6)
ロボテックの悲劇
残念ながら、"Robotech"の映画版はあまり人気がありませんでした。話の内容は「サザンクロス」のサイドストーリー的だったのですが、TVシリーズとうまくリンクしていませんでした。また映画の中でTVよりも過激な表現が多く、多くの保護者から非難の声が出ました。

"Robotech"映画版は限られた劇場で、しかも1986年の夏に2,3週間のみの上映となったのです。その後この作品が放映された事は今日までありません。

"Robotech"映画版は他の国でもビデオ/LD化されたのですが、それもあまり売れませんでした。現在では全ての"Robotech"シリーズがDVD化されたいますが、この映画版だけはされていません。多くのファンがDVD化を求めているのですが、権利を持っている業者がなぜだかわかりませんが、発売しないでいます。

"Robotech"が当たったので、"Gold the company"(権利を持っている会社)は続編を作ろうとしました。1986年に"Robotech"の制作がはじまりました。予定では65話で、「マクロス」の登場人物達のその後を描いた作品でした。脚本は新たに書かれ、日本のタツノコプロと契約をしたのです。"Gold the company"が作ったセリフとBGMにタツノコプロがアニメーションを付けていくという手順で作業は進みました。

"Robotech"は多額の初期費用がかかった為、その負担をおもちゃ会社に協力してもらっていましたが、おもちゃ会社の業績が急落し、投資がストップしてしまいました。"Gold the company"のお金がつきるまでに、作られたお話はわずか3話でした。それらは1987年に一度テレビで放送され、88年にビデオ化されました。"Robotech"がDVD化された時に、"Robotech"の3話も収録されましたが、ファンは全65話を見たがっています。(実現は無理でしょうね)

店主の一言:TVの話と上手くリンクできていませんでしたって、どのくらい悲惨な仕上がりだったのだろう?元々ある話を無理やり繋いでいるので、上手くいかないと散々な結果になるんだろうな。その結果を受けて"Robotech"はオリジナルのアニメを日米で協力して作ったのだが、今度はスポンサーがいなくなり3話しか作れなかった。悲惨だなぁ。次から次へとやってくる困難の数々。
赤いシリーズみたいだ。
赤い衝撃
シリーズの中でもこの「赤い衝撃」が僕は好きです。あまりにありえないベタな悲劇の連続に笑えばいいのか泣けばいいのかわからなくなります。

あっ、ロボテックの話だった。

ロボテック兇魯泪ロスの登場人物達のその後のオリジナルストーリーという事でとても面白そうです。ロボテックは今でも人気があって、ゲーム化もされているみたいなんで、この続編もいつか完成するといいですね。

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author:高橋正彦(音吉プレミアム), category:アメリカにおける日本アニメの歴史, 19:42
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マイクさんによる、ジャパニメーションの歴史inアメリカ(5)
激動の1985年パート2
1985年には複数の異なる作品をまとめて1つの大きな物語にする手法が登場しました。アメリカでは65話かそれ以上の話数が主流ですが、日本アニメの話数はそれには足りず、そこでいくつかをまとめて大きな話にしたのです。その手法で一番の成功を収めた作品が"Robotech"です。

"Robotech"は「マクロス」「サザンクロス」「モスピーダ」の3つの作品をひとつにした作品で全部で85話になりました。※この3つの作品の話数を足すと84になるが、「マクロス」と「モスピーダ」の話をまとめた回が新たに作られた。
マクロスlpサザンクロスcdモスピーダcd
この3つを足して"Robotech"。
"Robotech"はアメリカでのヒットを受けてイタリア、フランス、カナダ、スペイン、イギリスそして南アメリカでも放送された珍しい作品でした。また、おもちゃやサントラのLP、アメリカ人が作家の漫画も発売されました。

"Robotech"は大きな成功を収め、子供と大人両方の人気を獲得しました。その結果、映画化が決定ました。この映画は「メガゾーン23」を大幅に編集したものでした。その内容は「サザンクロス」にアメリカ人が書いた新しい「メガゾ−ン23」のエンディングを付け加えたものでした。その作品は日本の「メガゾーン23part供LDのボーナス映像に収録されているので、もしかしたらあなたも観た事があるかも知れません。
メガゾーンld今は在庫が無いから観れないが、いつか必ず観たい。どう話を繋いでいるんだろうか?
残念ながら、"Robotech"の映画版はあまり人気がありませんでした。話の内容は「サザンクロス」のサイドストーリー的だったのですが、TVシリーズとうまくリンクしていませんでした。また映画の中でTVよりも過激な表現が多く、多くの保護者から非難の声が出ました。

"Robotech"映画版は限られた劇場で、しかも1986年の夏に2,3週間のみの上映となったのです。(ビデオは上映された各劇場で売られていました) その後この作品が放映された事は今日までありません。

"Robotech"映画版は他の国でもビデオ/LD化されたのですが、そちらも芳しくなく、ビデオは少ししか売れず、LDはさらに少ない数しか売れなかったそうです。現在では全ての"Robotech"シリーズがDVD化されていますが、映画版だけはされていません。多くのファンがDVD化を求めているのですが、権利を持っている業者が理由はわかりませんが、発売しないでいます。

店主の一言:ロボテック(Robotech)っていうのはつまりアニメ界の、

ごまっとうcdごまっとう

または、
後浦なつみ後浦なつみ

ってわけね。でもさーあまりにも強引じゃないかい?無理やりくっ付けてどんな話になってるのか、一度観てみたいもんだよ。確かに日本でも仮面ライダーが全員集合したり、ウルトラマン一族が皆で敵を倒した事もあるよ。ドラゴンボールにアラレちゃんが出たことも、シティーハンターにYAWARAが出た事もある。けどそれはしっかりとその為に作られたオリジナルの映像なんだよ!

だけど意外と面白いのかもね。ジーパンだってツギハギがカッコいいんだから。

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author:高橋正彦(音吉プレミアム), category:アメリカにおける日本アニメの歴史, 17:02
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マイクさんによる、ジャパニメーションの歴史inアメリカ(4)
激動の1985年パート1
1985年はアメリカの日本アニメにとって、とても重要な年になりました。多くのメジャーな作品が放送され、大きなマーケットになっていったのです。

「トランスフォーマー」(Transformers)がこの年のはじめの作品でした。その人気は「宇宙戦艦ヤマト」を上回り、登場するメカを元にした、たくさんのトランスフォーマーのおもちゃが発売され、1986年には映画化もされました。
トランスフォーマーep子供の頃トランスフォーマーの超合金持っている友達が羨ましかった

"Silver Hawks"と"Thunder Cats"もとても人気がありました。キャラクター商品もたくさん発売され、それを受けて多くのアメリカの企業が日本のオリジナルアニメにオファーを出しはじめました。日本アニメのスタイルは主流になり、おおくの企業がアメリカでのアニメ化を願ったのです。"Rainbow Bright"はその典型といえるでしょう。

この作品は、アメリカのグリーティングカードメーカーの"American Greetings"が、多くの人形を売るために、彼らがキャラや話を作り日本の技術でアニメ化されたのです。
レインボーブライトあーこのキャラクターか。子供服にプリントされてるのを見た事があるな。

店主の一言:さあ、いよいよアニメが本格的に商業化されてきましたよ。レインボーブライトって日本で放送されたのかわからないけど、ヤフオクで検索したら子供服やグッズ関連でたくさんヒットしました。"American Greeting"の狙い通りの結果となったわけです。
僕も子供の頃は完全におもちゃメーカーの思うがままに翻弄された子供でした。

手がミサイルになってるでかいマジンガーZ人形。マジンガーz人形

ゴールドライタンの超合金。ゴールドライタン人形キン肉マンのサンシャインじゃないよ

大人買いしたビックリマン
ロココヘラクレス聖フェニックス
せっかくお年玉とかを貯めた金で箱で買ってしまったビックリマン。そしてお菓子が食べきれなくて困ったあげく、町の図書館に行って勉強している人に無理やり配りました。最近復刻ビックリマンが売られていて飲んだ帰りに買って食べたらウエハースが美味かった。昔の自分がした無駄な事に少し心が痛みました。

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author:高橋正彦(音吉プレミアム), category:アメリカにおける日本アニメの歴史, 13:40
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マイクさんによる、ジャパニメーションの歴史inアメリカ(3)
1981-1984
1980年から1989年はアメリカでの日本アニメにとってとても重要な時期でした。この時期に絶対的な人気を確立したのです。また、ちょうどこの時期に日本アニメの内容も複雑になっていきました。

1980年代の前半には「ガッチャマン」が再放送されましたが、最初の放送とはキャラの名前も変わり、構成も変えられました。"Battle of The Planet"は"G-Force"に変わり、声優も全員代わったのです。そのころ「マッハGoGoGo」と「鉄腕アトム」が再放送されました。

1983年には「宇宙戦艦ヤマト」が放送され、とても人気がありました。当時としては珍しく3シリーズ全てが放送されました。基本的には全65話というのがアメリカのアニメの主流だったのです。
ヤマトLP日本でもヤマトは今も絶大な人気です

また同く1983年に「進めレオ!」(Leo The Lion)が放送されました。またオリジナルの白黒バージョンの「鉄腕アトム」ではなく、カラーバージョンが放送されました。その後は白黒版の放送はなく、ビデオ化もカラー版のみされました。
カラーアトムやった!僕カラーになったよ。

1984年には「ユニコ」(unico)が放送され、このタイトルは80年代に何度も再放送され、ビデオ化もされました。
ユニコldこれも手塚作品です。ユニコーンをモチーフにしたお話です。

店主の一言:結構再放送が繰り返されてるんですね。けどガッチャマンは声優が全部変わるのは最近ドラえもんでもあったけど、タイトル変える必要はあったのか?しかも前回の放送から5年しか経っていないんだから、「あれっ?"Battle of The Planet"じゃなかったっけ?」って皆思ったでしょうね。

僕も先日、同じような思いをしました。休みの日にテレビをつけたら水戸黄門がやってたので観ていると、里見浩太朗扮する黄門様が、「ご老公、無理はいけません。ここは私達にお任せ下さい!」と出かけて行ったのです。

あれっ?
黄門様が助さんのコスプレをしてるゾ!!







昔の水戸黄門でした。


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author:高橋正彦(音吉プレミアム), category:アメリカにおける日本アニメの歴史, 13:36
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マイクさんによる、ジャパニメーションの歴史inアメリカ(2)
1967-1980

※日本アニメがアメリカで人気が出た経緯を話す際に、日本でのタイトルの後に、英語のタイトルを( )の中に書きますので、こちらでどう呼ばれていたかわかってもらえると思います。

日本アニメは1967年頃はじめてアメリカで放送されました。初期の作品は「ジャングル大帝」(Kimba The White Lion), 鉄腕アトム(Astro Boy), 8マン(8th Man),鉄人28号(Gigantor), 海底少年マリーン(Marine Boy), そしてワンダー3(Amazing Three)などでした。
鉄人28号ジャングル大帝ep
これらの作品は人気がありましたが、ほとんどの視聴者は子供でした。反応がよかったので、アメリカのテレビ会社はもっと多くの作品の放送を決めました。77年に放送された作品が「マッハGoGoGo」(Speed Race)とガッチャマン(Battle of the Planets)、そして鉄腕アトム(Astro Boy),と鉄人28号(Gigantor)は再放送されました。
ガッチャマンep鉄腕アトム


店主の一言:これらの作品がアメリカ進出のパイオニアってわけか。さすがに名作揃いです。英語のタイトルの付け方を見るとシンプルっていうか、硬いイメージのものが多いね。この感覚の違いっていうのは映画の邦題と原題を比べるとよくわかります。
バトルランナーldバトルランナーの原題は「The Running Man」。直訳すると「走る男」。

恋する遺伝子vhs恋する遺伝子の原題は「SOMEONE LIKE YOU」。直訳すると「あなたのような人」。

映画の原題は大抵パッケージに載っているので、レンタルビデオ店とかに行ったら色々見てみれば面白いと思います。

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author:高橋正彦(音吉プレミアム), category:アメリカにおける日本アニメの歴史, 13:04
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マイクさんによる、ジャパニメーションの歴史inアメリカ(1)
-プロローグ-

アメリカの日本アニメ史の中で、メジャーなタイトル全てとそうでないもののいくつかをリストアップしました。マイナーな作品の中には私も知らないタイトルが数多くあります。これからアメリカの日本アニメ史をあなたにお話する前に、日本アニメがどのように放送されているのかの背景をお話しておく必要があります。

アメリカでは日本アニメは、日本での放送とかなり違った形で放送されています。全てのオリジナルのセリフや時にはサウンドトラックも取り除かれて、新しく英語版の為のものに代えられます。アメリカでは日本アニメを放送する前に編集しなければいけない決まりがあるのです。というのも、ヌードや暴力的な表現、汚い言葉を取り除かなければいけないからです。

以前は、アメリカで放送される、日本アニメのキャラクターには別のいかにもアメリカっぽい名前が付けられていました。例えば、マクロスの一条輝(イチジョウヒカル)はこちらでは"Rick Hunter"でした。こられのアニメは5-14才を対象に放送されていたので、その年代の子供達が日本名では作品に入り込み辛いと考えられたからだと思います。
マクロス一条彼が一条輝(イチジョウヒカル)改めリック・ハンターです

現在は、ほとんどの日本アニメのタイトルやキャラはそのままの名前で放送されています。BGMも同じな場合がほとんどです。唯一違う箇所はヌードや暴力的な表現、汚い言葉を取り除いている事と日本語ヴォーカルの曲の多くは英語版に代えられている事です。

では歴史についてお話します。(次回に続く)


店主の一言:主題歌やBGM、さらに登場人物の名前が変わって、声優の声も当然変わるだろうから、日本語版とは結構違った印象の作品になりそうだな。

どんな感じになるか、試しに外国のアニメのキャラの名前を勝手に和風にしてみよう。
バーバパパバーバパパ → そら豆おじさん

ムーミンep060223ムーミン → カバ吉

ポパイdvdポパイ → 海野卓三(うんのたくぞう)

...........なんかヤダナ
だからアメリカでも現在は名前を変ないようになったんだと思います。

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author:高橋正彦(音吉プレミアム), category:アメリカにおける日本アニメの歴史, 13:47
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